名古屋・女子大生誘拐殺人事件


−経緯−

昭和55年12月12日午後6時過ぎ、名古屋市港区の小学校教諭・戸谷義光さん(当時51歳)の長女で金城学院大学・英文科3年生の戸谷早百合さん(当時22歳)が自宅近くの近鉄・戸田駅前で行方不明になった。早百合さんは英語の家庭教師をやるむね「中日新聞」の告知板に投稿した。前日の11日、それを見た犯人から戸谷宅に「英語の家庭教師をお願いしたい」と電話があった。翌12日、早百合さんはその打合せのため午後6時に戸田駅に向かったあと消息が分からなくなった。

同夜、戸谷宅に男の声で「娘を誘拐した。現金3000万円用意しろ」という脅迫電話がかかってきた。以降、犯人からの脅迫電話は20回以上にのぼった。

最初に指示された場所は、13日の夜で喫茶店だった。父の義光さんと義兄を装った刑事は1000万円が入ったカバンを持参し喫茶店に出向くと、犯人から電話が入り「東名阪自動車道の路側帯にある非常電話ボックスに置いたメモに従え」と指示された。2人は指示通り東名阪に乗り電話ボックスを捜したが1回目は通りすぎてしまった。再度戻り電話ボックスに着くとメモには「ココカラ カネヲシタヘオトセ ゴザイショサービスエリアマデイケ サユリイク」と記載してあった。

早百合さんの安否が不明であること、金を投げ込む時間が遅れたことなどから2人は一旦帰宅した。同夜、今度は「近くのレストランに弟が身代金を持参しろ」という電話があった。が、捜査班は犯人との接触にいずれも失敗した。犯人からの電話も12月16日以降、プッツリと途絶えた。このため、愛知県警は公開捜査に切換えて市民からの情報に期待した。

−犯人逮捕−
翌年の昭和56年1月20日、愛知県警は名古屋市東区の元寿司店経営・木村修治(当時30歳)を身代金目的誘拐容疑で逮捕した。逮捕のきっかけは、公開捜査により市民からの情報だった。この中で犯人と声紋が一致したこと、ギャンブルで3000万円の借金を抱えていたことなどから木村を逮捕し取り調べをおこなった。この結果、木村は犯行を認めた。

木村の自供によると「早百合さんを呼び出した戸田駅で自家用車に乗せて予め用意していたロープで絞殺した。殺害から3日後の12月15日、東名高速道を西に走り木曽川を渡る所で早百合さんの死体を川べりに放置した」と供述。さらに12月16日以降、身代金要求電話をかけなくなったのは「被害者の家族が早百合さんの声を聞かせて欲しい。顔を見なければ金は渡せないと言われ、これ以上要求するのは無理と思った。早百合さんを誘拐したのは、金城学院に通っているので家は裕福だと思った」などと供述した。

昭和57年3月23日名古屋地裁は木村に死刑を言い渡した。昭和58年1月26日高裁は木村の控訴棄却。昭和62年7月9日最高裁は上告を棄却し木村の死刑が確定した。平成7年12月21日、名古屋拘置所で死刑執行。
尚、早百合さんの死体は誘拐されてから155日目の昭和56年5月5日愛知県と三重県の県境の木曽川で発見された。


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