青酸チョコレート事件


−経緯−

昭和52年2月14日午後4時頃、会社経営のAさん(当時43歳)が東京駅八重洲の地下街を歩いていたところ、階段の下にショッピングバッグが置かれているのを発見した。中身を見るとグリコのチョコレート40箱が入っていた。当日はバレンタインデーであり誰かが置き忘れたのだろうと思ったAさんは、そのまま行き過ぎようとしたが先月の「青酸コーラ事件」を思い出し《もし、毒が入っていたら大変なことになる》と近くの交番に届けた。

交番は落し物として処理したが、落とし主が現われないため10日後にメーカである江崎グリコ東京支店に返却した。
受け取ったグリコ東京支店は、チョコの箱に記載されている製造番号を確認しようとしたところ、製造番号が削り取られていたこと、箱を包んでいるセロファンが破れていることに不審を抱いた東京支店は、大阪にあるグリコ本社の研究所に送り分析を依頼した。
この結果、40箱の内4箱の1粒、合計4粒(一箱10粒入り)に致死量の0.3グラムの青酸ナトリウムが検出された。

グリコから警察に届けられて「無差別殺人事件」として捜査が始まった。この40箱の1箱の裏に《オコレルミニクイニホンシンニテンチュウヲクタス/おごれる醜い日本人に天誅をくだす、という意味か》という犯行声明が記載されていた。

−第二の犯行−
同じ14日、東京駅から一駅の神田駅トイレで会社員のBさん(当時34歳)はチョコレートを拾った。電車でこのチョコレートを食べたBさんは意識不明となり、秋葉原駅から救急車で病院に運ばれた。病院は食中毒と診断し、幸い意識が戻ったBさんは翌日退院した。

ところで、東京駅で発見された青酸チョコレート事件と神田で発生したBさんの事件は、当時は結びつかなかった。Bさんの場合、食中毒として診断されていたため警察にも届はなかったのである。

が、翌年の昭和53年に捜査本部が事件の洗出しを行った際、神田事件の情報が捜査本部に入り、Bさんから提出されていたチョコレートの分析を行った。その結果、微量の青酸ナトリウムが検出された。

ここで、初めて東京駅と神田駅の事件が繋がった。さらに、聞き込みで2月14日以前にもチョコレートが入ったバックを東京駅の地下街で目撃したという証言者が多数でてきた。捜査本部は、東京駅、神田駅の青酸チョコレート事件と1月の青酸コーラ事件は同一犯人の疑いもあることを睨みつつ大掛かりな捜査をしたが、ついに犯人検挙は出来なかった。


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