千葉・女医殺人事件


−経緯−
昭和58年1月7日早朝、千葉県千葉市の新興住宅街の路上で千葉大学医学部研究生の椎名敦子(当時25歳)の絞殺体が発見された。死体発見現場から自宅までは歩いても数分の近距離であった。

警察から連絡を受けた夫で同大学病院研修医の椎名正(事件後離婚し藤田姓、当時25歳)は現場に駆けつけ泣き叫んだ。この様子を見た捜査班も同情を禁じえなかった。というのは、敦子と正は昨年の10月に結婚したばかりであった。
正は椎名家の婿養子で、病院を経営している妻の父親から敷地150坪の豪邸を援助されたり、いずれは病院の跡取となることが約束されていたりと周囲からは羨望の眼差しで見られていた。

ところが、捜査本部の事情聴取でちぐはぐな供述を繰り返し千葉県警は疑惑を抱く。正は次第に自分自身に疑惑が向けられていることに気付き16日自宅で採血用注射針で血を抜き取り自殺を図った。しかし自殺は未遂に終り救急隊員によって病院に収容された。千葉県警は同日入院した正に殺人及び死体遺棄容疑で逮捕した。

−動機と自殺−
正はフィリピン人ダンサーと付き合っていた。昭和57年12月このダンサーが地方巡業している愛媛県で密会するため敦子には出張と偽り正月を挟んで一週間留守にしていた。年が明けて1月6日、自宅に帰ると敦子と口論となった。逆上した正は電気コードで敦子の首を締めて絞殺。強盗に襲われたように偽装し自宅近くの路上に遺棄した。

取調べで正は《妻が強盗にレイプされたため、これを恥じて首を締めてと言われた》と嘱託殺人であったことを供述する。この供述は二転、三転し子供じみた言動に捜査官も呆れるばかりだった。

平成1年に最高裁で懲役13年が確定した。その矢先の3月22日、正は4回目の自殺を図った。東京拘置所の独房内の畳糸を引抜き首に巻いて支給品のポールペンを回転巻き付け窒息死した。《僕は殺していません。ただ責任は僕にもあります。最後の約束を守ります》という言葉を残して。


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