嶋中・中央公論社社長、右翼テロ殺人事件


−経緯−
昭和36年2月1日午後9時15分頃、中央公論社社長・嶋中鵬ニ宅に右翼のA少年(当時17歳)が乱入して、お手伝いの丸山かね(当時50歳)と夫人の雅子(当時35歳)に刃物で切りつけた。雅子夫人は、胸や腕を突き刺されて瀕死の重傷。助けようとした丸山かねは、心臓を刺されて即死した。A少年は、翌日の2日朝、浅草署の山谷交番に出頭し逮捕された。

A少年は長崎の出身で、父親は長崎地検の検事だった。A少年は、高校を中退したあと家出し、昭和36年1月3日に右翼団体の「大日本愛国党」に入党。翌月の2月1日に離党していた。

警察では、大日本愛国党の赤尾敏総裁が、背後でA少年に犯行を示唆したとみて取り調べるが証拠不十分で不起訴となる。昭和37年2月、東京地裁はA少年に懲役15年の判決を言い渡した。

−動機−
前年の昭和35年、中央公論社が深沢七郎の小説「風流夢譚(ふうりゅうむたん)」を掲載した内容で、『夢の中で天皇が殺され、皇太子殿下が首を切られる』という場面を描いたのが不敬にあたるとして右翼団体から中央公論社は抗議や嫌がらせを受けていた。しかし、中央公論社側からの謝罪が無いことに憤慨したA少年が犯行に及んだのだった。

事件後、嶋中社長が編集長も兼ねて人事を一新。さらに右翼団体に謝罪した。この中央公論社の姿勢に言論の自由を脅かすものだと新聞社を中心にマスメディアから非難の声があがった。


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