豊田商事詐欺事件


−経緯−

昭和60年6月18日午後4時30分頃、ペーパ商法で巨額の金を集金した「豊田商事」の永野一男会長(当時32歳)が、大阪市北区の自宅マンションで工場経営の飯田篤郎(当時56歳)と知人の建築作業員の矢野正計(当時30歳)に銃剣で刺された。永野会長は病院に運ばれたが11ヶ所の傷を受け出血多量で死亡した。

犯行当時、永野の自宅マンションの玄関前には約30人の報道陣やガードマンが居た。その人垣を掻き分けて飯田らは、「被害者6人(詐欺にあった)から、もう金は要らんから永野をぶっ殺せと頼まれて来たんや」と言って報道記者が使用していたパイプ椅子を取り上げて玄関脇の小窓(50センチ四方)を破壊し室内に侵入した。

室内では争う罵声が聞こえたが、数分後に飯田らは返り血を浴びた格好で外に出てきた。飯田は、報道陣に向かって「殺した。俺が犯人や、警察を呼べ。法律は手ぬるい。わしらがやらんかったら、他にやる者おらん」と叫んだ。飯田らは駆け付けて来た天満署の警官に現行犯逮捕された。

白昼堂々と、しかも報道陣の前で《殺人を犯した》のは前代未聞である。世論は犯行を未然に防ごうとしなかったばかりか、犯行状況を取材しようとした報道陣に対して非難の声があがったが、それ以上に「因果応報」だという感情論の方が大きかった。
それほど、豊田商事・永野会長の詐欺行為は許せない犯罪だった。

−豊田商事の実体−
永野は岐阜県・恵那市で昭和27年に出生した。中学を卒業後、職を転々とした永野は昭和56年4月に「豊田商事」を設立した。業務は、(純金ファミリー証券)の販売であった。しかし、この商売は実体がまったく無いペーパ商法であった。

まず、一人暮らしの老人をターゲットに豊田商事の営業が執拗な勧誘を行う。老人の家に上がり込み最低でも5時間居座る。中には、朝まで勧誘していたという例もあった。逆に、食事の支度をしたり掃除をしたり「自分を孫だと思ってください」などと老人の情に訴える勧誘もした。こうして老人に虎の子の金を捻出させて純金購入をさせた。

だが、実際はその資金で純金を購入する訳ではなく購入した老人には「ファミリー契約証券」を渡すだけで永野会長らは私服を肥やしていった。満期になると強引に継続契約を勧め途中の解約は一切応じなかった。こうして老人を中心に約5万人から、2000億円を巻き上げていた。

昭和60年4月に豊田商事のグループ関連会社の社員が詐欺容疑で逮捕された。6月15日には押収した書類から「外為法違反」の容疑で豊田商事が強制捜索され17日は永野会長が事情聴取された。その翌日の18日、前述の犯行により永野会長が死亡した。

その後、弁護士の中坊公平らが破産宣告した豊田商事の破産管財人となり豊田商事の社員が納めた税金の返却を国税局に交渉したり、様々な手法で120億円を取り戻し被害者に還元した。が、大部分の金は戻ることなく老人達は、どん底に突き落とされた。
この豊田商事の残党は様々な会社に散らばっていく。今でも、執拗な電話・訪問勧誘は豊田商事をモデルにしている詐欺会社が無数にある。懲りない連中である。

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これだけの報道陣が居ながら殺人を止められなかった


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