戸塚ヨットスクール事件


−経緯−
昭和58年6月13日、戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏(当時41歳)と同校のコーチら15人が傷害致死罪等で逮捕された。
主な事件は、訓練生A(当時21歳)に暴行を加えて訓練を続行した傷害致死、訓練生B、C(いずれも15歳)が体罰を逃れるためにフェリーから海に飛び込んで死亡した監禁致死、訓練生D(当時13歳)が体罰によって体力が衰えているのに訓練を続行し死亡させた傷害致死。

戸塚ヨットスクールは、校長の戸塚が「不登校や非行、情緒障害児」をヨットの訓練を通して健全な精神と肉体を作ることを基本とした全寮制のヨットスクールで昭和51年に愛知県・美浜町で創立した。
戸塚は、太平洋横断単独レースで優勝した実績があり有名であった。「スパルタの海」という本を読んで感銘した訓練生や子供の非行で悩んでいた親が子供を戸塚ヨットスクールに入学させた。

自らヨットスクールに入校した訓練生はまだしも、家庭内暴力や非行を繰り返していた少年達は、親が子供に黙って入校依頼をした。何も知らされていない子供達は、突然ヨットスクールのコーチ達がワンボックスカーで自宅に乗り込み強制的にヨットスクールに連れ出す「新人迎え」という儀式から始まり入校初日から戸塚校長、コーチ陣から殴る・蹴るの洗礼を受けた。

訓練生Aは、入校4日目に暴行により死亡(昭和55年11月)。訓練生Dは、入校一週間で暴行を受け衰弱していたが戸塚校長、コーチ陣達はヨットから何度も海に突落し死亡させた。この間、一切診療は受けられなかった(昭和57年12月)。
訓練生BとCは、体罰を恐れてフェリー「あかつき号」から海面に飛び込み脱走を試みたが死亡(昭和57年8月)。

戸塚校長らは、訓練生に対して遠慮無く「竹刀で叩いたり、殴る・蹴る」を日常的に繰り返した。また、半ば監禁状態にあった全寮制のヨットスクールから脱走し自宅に逃げ帰った訓練生をコーチ達が待ち伏せし、連れ帰るということが続いた。戻された訓練生への暴行は更にエスカレートしていった。
戸塚校長は《体罰は教育》という教育方針で、子供達に対して徹底的にスパルタ教育を行った。

−公判−
裁判の争点は《体罰は教育の一環なのか、単に暴力なのか》が争われた。平成4年7月27日名古屋地裁は、戸塚校長、コーチに対して傷害致死罪を認定するが、訓練には教育・治療の目的があったとした。よって、戸塚校長に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚校長、コーチら6人が双方で判決を不服として控訴した。

平成9年3月12日名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚校長に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。これを不服として戸塚校長は即日上告した。

平成14年2月25日最高裁は二審判決を支持して戸塚校長の上告を棄却。これで戸塚校長の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。

この事件で、石原慎太郎都知事ら著名人が《スパルタ教育(体罰)を肯定》する発言も見られた。が、「この事件は教育では無い。尊い命が奪われたのだ。生きることを拒絶されたのだ」という見方もあり、体罰は教育か?の問題解決には至っていない。


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