ピアノ騒音・殺人事件


−経緯−

昭和49年8月28日午前9時30分頃、神奈川県・平塚市の県営横内団地で、4階に住む無職・大濱松三(当時46歳)は「ピアノがうるさい」と、階下の奥村八重子(当時33歳)、長女まゆみちゃん(当時8歳)、次女の洋子ちゃん(当時4歳)の3人を包丁で殺害した。八重子の夫は、出勤していたため難を逃れた。大濱は、昭和45年4月に再婚の妻と同団地に入居した。同年6月、被害者の奥村一家4人が、大濱の階下3階に引越してきた。奥村宅から、釘を打つ音や荷物を運ぶ音、子供達の騒ぐ声が、大濱には絶えられなかった。更に追い討ちをかけたのが、奥村家がピアノを購入、長女のまゆみちゃんがピアノの練習を始めたことであった。

団地の自治会では、ピアノの練習は昼の間だけ、音量は絞る、窓は締め切るなどの規則を作ったが、全ての住居人が守っていたわけではなかった。大濱は、階下の奥村宅に再三注意をしていたが、八重子は気にとめず、相変わらず階下からピアノの騒音が聞こえてくる。
大濱は、ピアノの練習が始まると外出して気を紛らわしていたが、「このままでは、生きてはいけない。自分をこれほどまでに苦しめた女は生かしておけない」と、階下の奥村親子に殺意を抱くようになった。

−騒音問題−
昭和40年代に入ると、高度経済成長の恩恵で暮らしが豊かになってきた。外国から「ウサギ小屋」と揶揄されながらも、狭い部屋にピアノを購入することがステータスの一つになった。

ところが、住宅は騒音対策に関して整備されておらず、この頃、全国的に同様の問題が発生していた。そんな中、大濱は通常の人よりも「音に敏感」で、隣の住人が戸の開閉をする度に「ドカーンと爆発する音」に聞こえた。近所の子供が遊ぶ声、犬の声が気になってイライラした。大濱にとって、仮に一流のピアニストが曲を弾いても「騒音」になったのだろう。大濱は、事件から三日後の8月31日に自首した。
昭和50年10月20日、横浜地裁は大濱に死刑判決。昭和52年4月16日に控訴を取り下げて死刑が確定した。

画像
犯行のあったアパート


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