深川・通り魔殺人事件


−経緯−

昭和56年6月17日午前11時35分頃、東京・江東区森下二丁目の商店街で元寿司職人の川俣軍司(当時29歳)が、主婦のNさん(当時27歳)とベビーカに乗せていた長男(当時1歳)、長女(当時3歳)の親子連れ3人に包丁を突き刺して死亡させた。

更に、近くの酒屋店前を歩いていた女性(当時33歳)の腹部を突き刺し死亡させた。その後、二人の女性に傷害を負わせて近所の中華料理店前を歩いていた女性(当時33歳)を人質に取り、中華料理店の六畳間に篭城した。中華料理店は開店前で客は居なかった。

警察が現場に急行し、人質解放と自首を説得するが川俣は一切応じなかった。川俣は、人質の女性にメモを書かせる。メモは《電波でひっついている役人の家族をすぐ連れて来い・・・》と意味不明の内容が記載され、現場の警察に手渡された。この段階で警察は、「川俣は薬物中毒」と推定し人質救出は一刻を争うと判断した。

−逮捕−
午後6時45分頃、川俣が隙を見せた瞬間、人質の女性が奥の調理場に逃げ込んだのを確認した警察が六畳間になだれ込み川俣を逮捕した。この時、刑事は寿司職人に変装していたため白い前掛け姿、川俣はパンツと白いソックス、口には猿ぐつわを掛けられた異様な逮捕の瞬間はテレビ、新聞で報道された。

その後、裁判で「薬物中毒による心身耗弱状態であった」として無期懲役が確定した。
警察の取り調べで川俣は「俺はサムライだから、殺された町人も幸せだろう」と供述したという。川俣は極刑では無い。いずれ仮出所し社会に出てくるのであろうか?


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