森永ミルク中毒事件


−経緯−

岡山大学付属病院でドライミルクで育てられた7人の赤ちゃんの診察をしていたが、そのうちの一人の赤ちゃんが昭和30年9月23日に死亡した。解剖の結果、砒素(ひそ)中毒であることが判明、また飲んでいたドライミルクからも砒素が検出された。このドライミルクは、森永乳業徳島工場で製造したことが確認されたため厚生省ではただちに販売の停止命令を発令した。

−その後−
厚生省ではただちに全国の赤ちゃんの調査を実施した結果、西日本地域に多数の砒素中毒の赤ちゃんがいること、なかには死亡した事例が相当あることが判明した。

砒素がどうしてドライミルクに混入したかについて調査した結果、乳質安定剤に使った第二燐酸(リンサン)ソーダに砒素が誤って混入していたことが判明した。厚生省は森永徳島工場を3ヶ月間の営業停止処分とした。

しかし、一部の学者が「砒素入りのドライミルクの後遺症は無い」と発表したため、中毒児は長い間社会に放置されてしまった。結果、1万2000人の中毒患者、130人の死者を出したが、原因は砒素入りドライミルクとの因果関係が明確にされず見過ごされてしまったのである。

それから14年経ち大阪大学の丸山教授によって初めて重度の精神薄弱、その他の後遺症の実態が明らかにされ、ようやく補償のための裁判が軌道に乗るようになった。当時の産業優先政策における犠牲者であるとも言える事件であった。


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