ぷりんす号・シージャック事件


−経緯−
昭和45年5月10日、川藤展久(当時20歳)は、不良仲間のAとBの三人で、九州・福岡市で盗んだ車で、山口県内を走行していた。翌日の11日午前0時頃、警察の検問にあった。川藤らは警官と揉み合いになりBが警官を刺した。Bはその場で逮捕されたが、川藤とAは逃走する。

広島市に逃走してきた川藤らは、銃砲店に押し入り、ライフル1丁、実弾などを強奪した。そこからタクシーで宇品港に行き、停泊していた定期観光船の「ぷりんす号(乗員7人、乗客37人)」の計44人を人質に、Bの釈放を要求した。
川藤の家族が説得しても、逆にライフル銃を撃ちまくるなど、まったく聞く耳を持たなかった。

−狙撃の実況中継−
13日の午前9時51分、川藤が「ぷりんす号」のデッキに出たところを、警察の狙撃班によって左胸を撃ち抜かれた。この模様は、テレビで生中継されており、撃たれた川藤が、ゆっくりとデッキに沈んでいく様子がお茶の間にショックを与えた。
川藤は、病院に収容されたが、同日午前11時過ぎ、死亡した。

警察は、「これ以上、犯行を長引かせることはできない。最善の方法だった」と発表した。が、世論は何故、手や足を狙わなかったのかという意見も高まり、賛否両論の議論となった。


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