練馬一家惨殺事件


−経緯−
昭和58年6月27日午後2時30分過ぎ、不動産鑑定士・朝倉幸治郎(当時48歳)は、競売で落札した東京都・大泉学園の物件(木造2階建て、敷地約189坪)に、未だに立ち退かない元所有者の会社員・白井明(当時45歳)方付近に車を停めて、白井方の勝手口に向かった。

勝手口に出てきた妻の幸子(当時41歳)に、「明け渡しの件で来ました」と声をかけて、居間に上がり込んだ。
そこで、朝倉は「この土地、建物は私の物だ、一体いつになったら立ち退くんだ」と言って、持参したバックから金槌で幸子の頭めがけて殴打した。さらに次男(当時1歳)、小学校に入学したばかりの三女(当時6歳)も金槌で殴打し3人を撲殺した。

続いて午後3時過ぎ、小学校から帰宅した次女が居間で、朝倉に両手で首を絞められて扼殺された。(小学校5年生の長女は林間学校に行っていたため難を逃れることができた)。朝倉は、4人の死体を浴槽に入れ、蓋をして隠した。

午後9時30分頃に帰宅した白井明は、家のリビングに居た朝倉と口論となる。その時、隠し持っていた鉞(まさかり)で白井の首めがけて振り下ろした。即死した白井を、同じく浴槽に運び5人の遺体を遺棄するため切断作業を徹夜で行う。

翌28日の午前9時頃、隣家の主婦が白井宅を訪ねて来た。死体の解体作業をしていた朝倉は、咄嗟に「この家の人たちは昨夜引越しました」と主婦に伝えた。この主婦は、幸子の実母から「昨夜から電話が繋がらないので様子を見て欲しい」とお願いされていた。そこで、この主婦は朝倉に言われた通りの内容を幸子の実母に連絡する。実母は、不動産取引のトラブルを知っていたため、もしや監禁されているのではと思い、幸子の実兄、実弟に連絡した。そこで、兄弟は上石神井警察署に届け出た。

午後0時40分頃、警察官2人と幸子の兄弟が白井宅に出向いた。警察官が、勝手口から声をかけると、朝倉は表玄関から逃亡しようとした。が、玄関を見張っていた警察官に拘束された。警察官が確認すると、一家5人の殺害を認めて現行犯逮捕された。

朝倉は、警察の取調べで「殺したことですっきりした。白井は骨まで粉々にしてやりたかった」などと供述し、反省の弁は無かった。

−動機−
昭和58年2月、朝倉は今回の問題になった物件を競売で落札した。落札価格は1億280万円であった。4月に渋谷区の不動産会社と、この物件の売買契約を1億2950万円で締結した。引渡し日は6月30日で、契約が履行されなかった場合は、違約金として不動産会社に3000万円の支払いをしなければならなかった。さらに、競売で落札した資金は銀行からの借り入れで、利子返済だけでも月額100万円になった。

このため、連日のように白井宅を訪問し、立ち退き要請をしていたが、白井は立ち退き料の値上げを要求し、一向に引っ越す気配は無かった。
焦る朝倉は、白井に対して殺意を抱くようになる。殺人までの準備は用意周到で、ペーパドライバのため教習所に通い(遺体の運搬のため)、隠れ家として1Kのマンションを借りていた。そして、6月27日に犯行に及んだ。

平成8年11月14日、最高裁で死刑が確定。平成13年12月27日に東京拘置所で死刑執行(享年66歳)


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