昭和電工疑獄事件


−経緯−
昭和23年6月23日、東京地検は大手化学肥料メーカ「昭和電工」の日野原節三社長を贈賄容疑で逮捕した。
この事件が表面化したのは、同年4月27日の衆議院・不当財産取引調査特別委員会で、野党の民主自由党(当時)・高橋英吉代議士が「芦田首相や栗栖長官らは、昭和電工への復興金融不当融資に関係がある」と暴露したことから始まる。

警視庁でも、国会追及の前に内偵していた。というのは、昭和電工・秩父工場で銅の横流しが行われているという密告書が届き、当時の「物資統制令違反」にあたるとみていたからだ。

東京地検は、5月25日 昭和電工本社の家宅捜査にのり出す。トラック2台分の押収した書類の中から、政・官・財の有力者に渡した金額、氏名、宴会場所、日時などが記載されていた社長秘書の手帳を発見した。これによって、前述の通り日野原社長が逮捕された。

−時代背景−
昭和21年当時の吉田内閣は、石炭を増産し、そのエネルギーで鉄鋼産業、火力発電、鉄道、化学肥料という基幹産業を優先して立ち上げ、窮乏する国民を救うとする「復興金融公庫」を発足させた。まさに起死回生の法案であった。

日野原は中小企業の社長にすぎなかったが、義兄で政界の大物といわれる菅原通済の斡旋で昭和電工の社長に招聘された。日野原は、社長に就任すると、それまでの総合化学メーカから脱却して肥料部門を拡大転換し「復興金融公庫融資」を受ける工作を始める。同社が、この融資を受けた総額は実に23億5800万円で、化学肥料業界に対する融資の50%を占めた。

日野原社長は、融資便宜を図ってもらうため、政界、官僚、財界に対して金をばら撒く。昭和電工本社から毎朝、米・醤油・砂糖・味噌・牛肉などを満載したトラックで有力者に届けた。これらの不正支出金は昭和22年から23年の2ヵ年だけでも7662万円にのぼる。さらに、これ以外の使途不明金が2億5000万円以上にのぼった。

この贈収賄で、芦田首相、西尾末広副総理、栗栖赳夫経済安定本部長官(国務大臣)、重政誠之農林次官、福田赳夫大蔵省主計局長(のちの首相)、日野原社長ら64名が摘発され、内44人が起訴された。この結果、内閣は総崩れとなり、10月6日芦田内閣は総辞職をした。

−逃げ切りの理由−
昭和33年2月11日、東京高裁で芦田元首相を「無罪」とする判決を下した。それから9ヵ月後の11月17日、福田赳夫、西尾末広らの控訴審判決でも「無罪」の判決が下った。その理由が「金の授受は認められるが、それが便宜を図るための賄賂と認知していなかった」という奇妙な判決であった。即ち、賄賂と認知しなければ、いくらでも金を貰うことができるという信じられない理屈で無罪となった。
結局、日野原社長ら一部の人間が執行猶予付きの有罪判決で、その他の大物達は全て逃げ切ることができたのである。


ホーム

inserted by FC2 system