天皇崩御


−昭和天皇崩御−
昭和64年1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍のため、皇居の吹上御所で崩御された。87歳だった。これに伴い、皇太子明仁親王が直ちに皇位を継承、125代天皇に即位し年号を「平成」とした。

−戦前−
昭和天皇裕仁は、大正天皇の崩御に伴い昭和3年11月10日、京都御所で124代天皇として即位した。戦前は陸軍・海軍の統帥権、政府閣議の決定承認権をもつ現人神として日本国の最高位に位置していた。この間、「2.26事件」における反乱軍に対する即時帰還命令を勅旨したり、太平洋戦争開戦に関して平和解決を望むなどの態度を通されたが、閣議決定に対しこれを尊重、不幸な戦争への道を歩むことになる。

昭和20年8月9日、御前会議で軍部と政府間で戦争継続(本土決戦)と無条件降伏(ポツダム宣言)に議論が割れたが、天皇の裁断により「無条件降伏」を決定、同15日、「終戦の勅書」放送、いわゆる玉音放送でついに戦争終結。

−戦後−
昭和20年8月30日、連合国総指令官(GHQ)「マッカーサ元帥」が厚木飛行場に到着。これより、戦後昭和が始まった。
終戦から一ヵ月後の9月27日、昭和天皇はGHQ総司令部である第一生命ビルで執務するマッカ−サ元帥に初めて表敬面会をした。この時の、会談内容は二人の胸に収めるという約束で以後、昭和天皇はこの時の会談内容は一切発言されていない(当時の外務省の通訳・従事がその後、回顧録をだしているが)。が、その後の漏れ伝えるところ昭和天皇はマッカーサ元帥に対して「日本国の統帥権は全て自分にある。従って、この戦争の責任は全て自分にあること、日本の復興に支援を頂きたい」という発言をされたとしている。

マッカーサの回顧録にも同様の内容が載っているから間違いの無いところであろう。
自分の身よりも国民の支援援助を願ってきた昭和天皇に対してマッカーサ元帥は畏怖と尊敬をもったという。以後、連合国側は天皇の戦争責任には一切触れないという方針になった。

−平和復興−
昭和21年1月1日、昭和天皇は「人間宣言」を行った。そして混乱が尚続き疲弊している国民を激励しようと全国の戦災地を巡幸された。この公務は植樹際や国体に引き続き、生涯を通じて日本全国を巡幸された。国民も、雲の上の神様から、身近に感じる天皇として好意的に受け止められた。
また、海外にも積極的に歴訪され親善に努められた。

戦後の日本は世界に例が無い「強烈な経済成長」を遂げた。この成長で産み落とされた公害や人間同士の道徳観の欠如、自然破壊など負の財産も生まれたが、総じて国民は豊かになり米国に次ぐ世界第二位の経済大国となった。
戦前は軍事大国化へ、戦後は経済大国化へと道は180度の対極にありながら、昭和天皇を中心とした正に激動の時代、それが「昭和」である。

天皇画像 -大正15年6月20日-
初のお子さま照宮成子内親王がお生まれに。満ち足りた日々をお過ごしになる両陛下
天皇画像 -昭和3年-
即位当時の昭和天皇
天皇画像 -昭和12年11月24日-
宮中に大本営が設置された。中央が昭和天皇
天皇画像 -昭和20年3月18日-
東京大空襲で焼け野原になった江東深川方面を視察される昭和天皇。胸中は如何なものであったろう
天皇画像 -昭和20年9月27日-
マッカーサ元帥と初めての面会。正装の天皇に対してノーネクタイのマ元帥。国民は「本当に戦争が負けた」と実感した写真であった。
天皇画像 -昭和22年5月3日-
新憲法施行記念日。「国民統合の象徴」として天皇は日本の再出発を祝福された。
天皇画像 -昭和64年1月7日-
激動の昭和史を即位された昭和天皇。87歳、ついに永眠される


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