イトマン事件


−経緯−
平成3年7月23日、大阪の中堅商社「イトマン」が3000億円の巨額資金を流出した事件で大阪地検は、イトマンの河村良彦社長(当時67歳)、伊藤寿永光常務(当時46歳)、不動産管理会社代表の許永中(当時44歳)ら6人を特別背任容疑などで逮捕した。

イトマンは、明治16年に大阪・心斎橋で繊維問屋の個人商店として創業。戦後、大阪証券取引所に上場した老舗の商社であった。その後、昭和48年の石油ショックで、経営不振に陥る。

この時、同社の建て直しにメインバンクである住友銀行が動きだす。住友銀行は、同行の常務であった河村良彦をイトマンの社長として送りだす。河村は社長就任早々、従来からの繊維商社から脱却し総合商社として再建に乗り出す。その後、業績が向上し「伊藤萬・中輿の祖」として賞賛される。

が、住友銀行頭取の磯田一郎から平和相銀の内紛株買戻しの資金援助要請を受け泥沼に入り込む。
さらに、拡大路線の切り札として起用したのが、協和綜合開発研究所(実体は地上げ会社)の伊藤寿永光であった。伊藤はイトマン入社前に、仕手筋と知られていたコスモポリタン会長に200億円の巨額資金を融資していたが焦付き、担保として残ったのが雅叙園観光だった。

雅叙園観光の債権者として他に名乗りをあげていたのが闇社会の超大物「許永中」であった。ここで2人は意気投合しイトマンを食い物にしていく。伊藤がイトマンに入社後、直ちに常務に昇格。

−食い物に−
この頃、平成2年5月24日、日経新聞で「伊藤萬、土地・債務圧縮急ぐ/住銀、融資規制受け協力」というスクープで、イトマンが不動産投資で借入金が1兆2000億円に膨れ上がっていることが発覚したという報道があった。

経営再建に焦る河村社長に伊藤は許永中を紹介する。そこで、許は河村社長に美術品・貴金属などの投機で儲かると話し掛け、結局イトマンは、許の関連会社から総額528億円の仕入れを行った。だが許が持ち込んだ絵画などの小売価格は265億円程度であり、差額の263億円を許は儲けたことになる。逆に言えば、許と伊藤はイトマンに263億円の損害を与えたとこになる。
さらに許は、イトマンに様々なプロジェクト話を持ちかけ食い物にしていく。

一方、伊藤常務も資本金わずか1000万円の不動産業者「太平産業」に伊藤常務の関連会社(実兄が代表者)を経由して1300億円余りを融資した。伊藤常務は、この関連会社から200億円の利ざやを得たと言われている。太平産業は平成3年に任意整理され、その結果イトマンは1000億円以上の損益を負った。

この影響は計り知れなく、イトマンから闇社会に流れた金は3000億円とも6000億円とも言われている。この金はどこに消えたのか今だに解明されていない。経営破綻したイトマンは、平成5年4月に住金物産に吸収合併され、イトマンの歴史に幕を閉じた。

−公判−
許は1審公判中に「妻の法事を韓国で行う」と日本から出国。直後、2年間行方不明となったが、平成11年11月に東京のホテルで身柄を拘束された。

平成17年10月7日最高裁は許被告の上告を棄却して懲役7年6ヶ月、罰金5億円とした下級審の判決を支持して刑が確定した。許被告は経済的利益を追求しただけでイトマン側に損害を与える意図はなかったと主張していたが、最高裁は「多額の損失を負わせることを十分認識しながら絵画の鑑定評価書を偽造するなどしており共犯関係は明らか」と指摘した。これにより、許の身柄は東京拘置所から刑務所に移された。

最高裁は河村、伊藤も同日付で上告を棄却し河村に懲役7年、伊藤に懲役10年が確定した。これでイトマン事件は結審した。


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