東京佐川急便事件


−経緯−

平成4年2月24日、東京地検は東京佐川急便の渡辺広康社長ら4人を特別背任容疑で逮捕した。乱発した債務保証は数千億円といわれ、この内回収不能は950億円。乱発した資金の大半は暴力団・右翼団体に流れ、20億円は政治家への闇献金としてばら撒かれた。闇献金は、総理経験者や金丸信副総理など大物政治家12人に渡ったとされる。

−驚く初公判−
同年9月22日の初公判で、渡辺社長は以下の証言をした。

昭和62年当時、自民党総裁後継でポスト中曽根の座を安倍晋太郎、宮澤喜一らと激しく戦っていた竹下登に対して、香川県の右翼団体・日本皇民党は「ほめ殺し」を街宣車で展開していた。「金儲けの上手な竹下さんを総理にしよう」などと全国で展開された竹下は、このピンチを乗り越えようと腹心で参謀の金丸真に相談。そこで金丸は、東京佐川急便社長の渡辺に皇民党の活動を中止するよう依頼した。

この意を受けた渡辺は、広域暴力団の稲川会の石井進前会長に相談する。そこで、昭和62年10月に石井前会長は皇民党の稲本虎翁総裁と会談した。石井前会長の街宣活動中止要請に対して皇民党は、ほめ殺しの中止条件として、田中元総理に対して謝罪(竹下は、田中元首相の派閥である田中派を乗っ取り‘創政会を経て経世会‘を結成した)を要求したという。

確かに数日後、竹下は突然、田中元首相の私邸に訪問している(門前払いされたが)。この結果、日本皇民党の竹下に対する「ほめ殺し」はピタっと止まる。

だが、稲川会は貸しができた東京佐川急便に対して以降様々な理由で資金援助を要請し前述の通り、数千億単位で資金が闇社会に流れていく。東京地検も闇献金や不正融資などの追及を続けたが結局、東京佐川急便からの政治献金の中で5億円の授受をしていた金丸信が平成4年9月28日に政治資金規正法違反で略式起訴されただけで、その他の大物政治家や闇資金ルートは解明されないまま事件は闇に葬らされた。

皇民党・ほめ殺し事件」の詳細はこちら。


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