広田雅晴・元巡査部長、連続射殺事件(警察庁指定115号)


−経緯−

昭和59年9月4日午後12時50分頃、、京都府警・西陣署の元巡査部長・広田雅晴(当時41歳)は、京都府・船岡山公園をパトロール中の西陣署十二坊派出所・鹿野巡査(当時30歳)を刃物で襲い全身16ヵ所をメッタ刺しにして拳銃を奪って射殺した。

犯行後、広田はタクシーに乗り西陣署のすぐ近くにある映画館に入った。広田は、鹿野巡査の返り血を浴び、格闘で泥だらけになった服装で堂々と入場券を購入。館内に入ると栄養ドリンクを飲んでゴミ箱に捨てた。映画館の従業員が不審を抱き警察に通報。警官が駆けつけた時には、既に広田の姿はなかった。だが、ゴミ箱から指紋が付着した栄養ドリンク瓶を押収。指紋照会した結果、広田元巡査部長であることが判明し全国に指名手配した。

一方、広田は現場から50キロほど離れた大阪市都島区の京阪電鉄・京橋駅前にあるサラ金会社にピストルを持って押入った。広田が「金を出せ」と言うと社員の鈴木隆さん(当時23歳)は「冗談でしょう」と応じた。その瞬間ピストルから乾いた音が響くと同時に鈴木さんは倒れ即死した。広田は恐怖におののく女性社員から現金73万円を奪って逃走した。このサラ金会社の真ん前は派出所であり、広田の大胆で残忍な犯行は市民を恐怖に陥れた。

広田は昭和53年7月、西陣署勤務時代に同僚のピストルを盗み、札の辻郵便局に押入り逮捕された。このため、懲役7年の刑で服役。8月30日に出所したばかりで、仮出所から僅か5日後の犯行だった。

−連行中の狂暴−
京都、大阪両府警は、「広域重要事件115号」に指定すると共に、広田が立ち寄ると思われる場所に警官を配置した。その結果、翌日の5日広田が千葉県成東町の実家に立ち寄ったところを逮捕した。

千葉県から京都に護送中、新幹線の車内で報道陣にヤクザ口調で京都府警の恨みをまくし立て暴れだした。広田の狂暴性に護送担当の刑事ももてあます状態だった。

広田は、大阪市都島区に生まれ幼少の頃に千葉県成東町に移り住んだ。高校卒業後、横浜の造船会社に就職したが3ヶ月間で退職。昭和39年に京都府警に採用され九条署を振り出しに主に内勤畑を歩んだ。

広田はギャンブル好きで、派手な生活態度であったことから借金が1400万円に膨らんでいた。このため度々上司から注意を受けていたという。一方、広田の性格は気が強く上司に対しても文句を平然とまくし立てるという札付きの警官であったという。

西陣署・十二坊派出所への転勤命令が出た昭和52年は、広田が家を購入した直後だった。更に、内勤から外勤に回されたことで広田は「左遷」と感じ、上司と警察署長を名指しで批判した。この逆恨みにおける復讐と(警察官の銃を奪って犯行に至れば元上司達も処分を受ける)、借金返済のため犯行に至った。

平成9年12月19日、最高裁は広田の控訴を棄却して死刑が確定した。

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報道陣に食ってかかる護送中の広田


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