札幌・小学生誘拐殺害事件


−経緯−

昭和59年1月10日朝、北海道・札幌市では、学校はまだ冬休みであった。会社社長の城丸宅では母親が遅い朝食の仕度をしているところだった。9時30分すぎ、城丸宅に電話が鳴った。たまたまリビングにいた秀徳君(当時9歳)は電話を取ると、何かに謝るような様子で「はい、はい」と答えていた。様子を見ていた母親は「どこからの電話なの?」と言っても返事をしない秀徳君は、電話を切ると「ちょっと出かけてくる」と言い出した。

母親がどこへ行くのか聞いたところ「ワタナベさんのお母さんが、僕のものを知らないうちに借りた。それを返したいと言っている。函館に行くと言っている。車で来るから、それを取りに行く」といった。リビングにいた家族は、秀徳君が何を言っているのか理解できなかった。町内にワタナベ姓はあったものの城丸家とは親しい付き合いはなかった。

外へ出て行った秀徳君を心配に思った母親は、小学6年の兄に秀徳君の様子を見るように言いつけ兄は弟を追いかけた。雪が舞う中、公園を通り過ぎ、やがて「二楽荘」というアパートのあたりで左折した(実は兄は近眼で、明確には二楽荘に入っていったのか、はっきりしなかった)。二楽荘の隣はワタナベ家であった。

その後、帰らない秀徳君を心配した母親は、ワタナベ家を尋ねたが、高校3年生の娘が、一人で留守番をしており、秀徳君が尋ねてきたことは無いといった。勿論、電話などしていないという。午後、警察に届け出て捜索することになった。

−捜査−
早速、警察官が二楽荘へ調査を開始した。二階に住んでいる、2歳になる娘と二人暮しの母親のK子(当時45歳)は次のように証言した。「今日の午前中、アパートに小学生くらいの男の子が、ワタナベさんの家を知りませんか。まっすぐ行って階段を昇る家だと聞いたのだけど」と聞くので「ワタナベさんの家はこの隣だけど、その家でないの」と教えたら「どうも」といってドアを閉めたということだった。

勿論、ワタナベ家にも調査をしたところ、留守番をしていた女子高生は秀徳君の母親に話したことと同様の答えをしている。念のためワタナベ家を家宅捜査しても何も物証は無く秀徳君は忽然と姿を消したのだった。

−謎−
事件が意外な方向へ展開したのは、それから4年後であった。札幌市から北へ70キロの新十津川町にある一軒の焼けた農家の納屋から、秀徳君と見られる人骨が発見された。農家の家族が焼失した納屋を整理した時に人骨が出てきたのだ。農家の主婦は、実は二楽荘に住んでいたK子であった。彼女は秀徳君の失踪後の2年後に、見合い結婚で、この農家に嫁いでいたのだった。

K子の、嫁ぎ先での評判は悪く、農業の手伝いどころか家事もほとんどしなかったようだ。また、夫である寿美雄さんは「おれ、殺されるかもしれない」などと義兄に話していた。当時、寿美雄さんには2億円の保険が掛けられていた。結局、保険金の請求はしなかったものの寿美雄さんは焼死体で発見された。このとき、K子は出火の時、ブーツを履き、娘と隣の家ではなく300メートルも離れた家に飛び込み119番通報の依頼をしていたなど不思議な行動をとっている。

−判決−
平成13年5月30日、札幌地方裁判所は「主文。被告人は無罪」とK子の無罪を言い渡した。しかし、佐藤裁判長は「無罪」を認めた訳ではなかった。K子が秀徳君を死亡させた疑いは強いが、殺意の認定ができなかったというのが理由であった。
また、人骨のDNA鑑定や二楽荘から農家に運び入れた段ボール箱の証拠(秀徳君を殺害後、運んだとみられるダンボール箱)に関しても、検察側の主張をほぼ認めたが、殺人罪は「殺意」をもって死亡させたときに適用され、それ以外は傷害致死となる。この場合、K子逮捕時の7年10ヶ月前に傷害致死罪は、時効が成立していた。
検察側は直ちに控訴、平成13年11月27日、札幌高等裁判所で審議が始まっている。検察側がいかに「殺意」を立証できるかにかかっている。


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