日航「逆噴射」事故


−経緯−

昭和57年2月9日午前8時47分頃、福岡発羽田行きの日航350便(DC8型機)が羽田C滑走路300メートル手前で突然失速し東京湾に墜落した。乗員乗客174人の内24人が死亡、150人が重軽傷を負った。

350便は千葉県・木更津上空に高度1000メートルで順調に進入した。羽田管制塔からの指示で1分間に300メートルの降下率で着陸進入コースに入った。着陸を予定していたC滑走路延長線上に到達した時点で滑走路末端から上向き3度で発射される電波を同機のコックピットにある姿勢計器(ADI)で受信。

その電波に乗せながら進入、滑走路末端から1000メートル手前で高度50メートルを保ち滑走路末端の内側300メートル地点で着地する予定だった。ところが350便は突然滑走路手前300メートル地点で一気に降下するという信じられない事態となった。

管制塔からの連絡で警察、消防、保安庁、民間の漁船などが墜落現場に急行し救助にあたった。不幸中の幸いだったのは、墜落した地点は海面から浅いヵ所でしかも引潮だったため機体の沈没は免れた。だが厳冬の2月、海水は冷たく乗客らは墜落のショックと寒さでパニック状態になった。

−恐ろしい原因−
警視庁捜査本部と運輸省事故調査委員会は墜落の原因調査を開始した。350便は墜落手前までは順調に飛行していた。このため、着陸寸前に鳥がエンジン内に入ったための故障かなど多角的な調査を行った。だが、機体からそれらの兆候は見られなかった。だが、コクピットを調べると何故か4発のエンジンスロットルレバーの内、4番スロットルレバーが逆噴射側に入っていた。

また、副操縦士の供述で機長が突然操縦桿を前方に押し込みエンジンスロットルレバーをアイドリング状態にしたということが判明した。副操縦士は「機長、なにをするんですか!」と言って操縦桿を引き戻したが、機長はさらにスロットルを逆噴射側に押し込んだ。瞬間、機体は失速し墜落したということが判明した。

墜落後、意識を戻した副操縦士は機長に「なんてことをしたんですか!」と叱責すると、機長は大声で泣いたという。

−精神分裂症と心身症−
K機長は、数年前から体調を崩して度々吐き気がすると訴えていた。事故から2年前の昭和55年8月頃、神奈川県葉山の自宅で「盗聴器が仕掛けられている」と警察に通報したり、「宇宙から電波が届く」など妄想の兆候が見られた。

この頃、K機長は国際線の成田−モスクワ間の機長として乗務していたが、この時も妻に「共産主義の連中が自分を狙っているのでモスクワには行きたくない」などと話している。心配した妻は病院の精神科医に相談したところ「ご本人を診察していないので明確には言えないが精神分裂症の兆候がある」と言われた。妻は大きな衝撃を覚えた。

だが、日航の6ヵ月毎の定期検査では神経衰弱による「心身症」と診断され投薬と静養を必要と診断された。その後、定期検査で医師も乗務に差し支えない状態に回復したようだと日航の運航乗員部に報告。その結果、前年の昭和56年11月から時差も無く体調を維持しやすい国内便の機長として復帰させることにした。

だが、この頃妻や実姉に「自分は皇室の人間だ」とか、散歩の途中で見知らぬ人に愛犬をあげたりと妄想や奇行は依然続いていた。

事故の前日、K機長は羽田から福岡に向かう日航377便(東京20時発)の機長として乗務した。この時も、管制官から離陸許可が出ていないのに「管制許可はきているね」と離陸のためエンジンパワーを全開にしようとしたため、あわてて副操縦士と機関士が止めたという。さらに羽田を離陸直後、機体を70度も傾けて旋回(普通は最大で35度)。副操縦士は慌てて機体を修正しながら「機長大丈夫ですか?」と声をかけている。既に墜落の兆候があったのである。

検察側は、「K機長は精神分裂症(現在は総合失調症といわれる)であり責任能力は問えない」として不起訴処分とした。また、K機長の精神分裂症は日航関係者や医師団も見抜けなかったとして同じく不起訴処分とした。

だが、日航は6ヶ月毎の機長資格更新身体検査で「問題なし」と報告していたことに、抜本的な見直しを迫られることになった。そこで昭和58年11月に航空医学センターを設立し徹底的な定期チェックを行うようになった。だが、この事件のように「あの人は精神分裂の疑いがあるのではないか」という指摘は大変難しい問題だといえる。場合によっては、名誉毀損で訴えられるか、訴えられなくても職場でぎくしゃくすることは容易に想像がつく。難しい課題である。

画像
事故直後の日航機


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