下山事件


−経緯−
昭和24年当時の国内は、第二次吉田内閣が発足し、GHQ(連合軍総司令部)が指示した「九原則」の遂行を使命にしていた。この「九原則」の一つに、国鉄10万人を含む全産業100万人の人員整理の強行が政府の課題となっていた。初代国鉄総裁の下山定則(当時、49歳)は、国鉄職員の大整理に関しての最高責任者であった。

一方、労働団体の勢力が強まり、共産党の議席が大躍進するなど首切り反対の労働活動が活発で交渉は困難を極めた。ごうを煮やしたGHQの民間輸送部のシャグノン中佐が早急な職員大整理を迫り、下山総裁は相当衰弱しきっていたという。このような背景で下山事件が起きた。

昭和24年7月5日労使との団体交渉があるこの日、いつものように迎えの車で自宅を出た。東京駅の国鉄本社に近づくと、突然運転手に向かって「三越デパートへ行ってくれ、買い物がある」と言った。8時45分頃のことで、三越デパートに近づくとまだ開店前だったため運転手に「神田駅へ回ってくれ」と命じた。この辺りから下山総裁は運転手に次々と不可解な指示をするようになる。神田駅に着くと、今度は東京駅の国鉄本社に戻るよう指示したかと思うと、途中から「三菱(銀行)に寄ってくれ」と命じた。

銀行に着くと車から降りて自分の貸金庫から現金を取り出して再び車に戻り、運転手に「もういいだろう、三越に行ってくれ」と命じた。そして、9時37分三越デパートに着いた下山総裁は、運転手に「5分ほど待っていてくれ」と告げて車から降りてデパート内に入っていった。これを最後に、下山総裁は消息不明となった。

−轢断−
翌日6日午前0時26分頃、上野発松戸行の最終電車の運転手が綾瀬駅に着くと、駅員に「東武線のガードを過ぎた辺りにマグロ(轢断死体)がある」と報告した。早速、駅員が駆けつけると、常磐線と東武伊勢崎線の交差する場所で、バラバラになった轢断死体を発見。定期券から下山総裁だと判明し、警察に通報するとともに現場では大騒ぎとなった。

轢死したのが、国鉄トップの下山総裁であったことから警視庁、検察庁のトップレベルの官吏が現場検証を始めた。その結果、轢断した列車は田端機関区から水戸へ向かった貨物列車(D51蒸気機関車)で、現場を午前0時19分に通過していたことが分かった。捜査班は、同日水戸駅に到着していた機関車を検証した結果、車両底部に血痕や下山総裁の衣類の一部などが発見された。

−捜査−
6日の轢断死体発見から、警視庁は本格的な捜査を開始した。その結果、前日の午後に現場近くで下山総裁に似た人物を目撃した者が17人に上ることが分かった。いずれも元気なく歩いていたと証言したため「自殺説」が浮上。特に、前日の5日午後2時から5時30分まで、現場から1キロ離れた足立区千住末広町の「末広旅館」に下山らしい人物が休憩していたという旅館の主人の証言が大きくクローズアップされた(松本清張は、これをGHQの偽装工作と見ている)。

一方、東大法医の解剖検証は、バラバラになった手・首・足の轢断面に生活反応が認められなかったため「死後轢断」と判定した。また発見された下山総裁の靴底に微量ではあるが染料が付着していたこと、轢断現場には下山総裁のネクタイ、めがね、ライターなどの所持品がどこからも発見されなかったこと、衣類に植物性油が多量に付着していたことなどから、下山総裁は三越デパートに入った後、何者かに拉致され染料や油を扱う工場などで殺害されたあと、自殺と見せかけるため列車に轢断させたのではないか。いずれにしても、これは他殺であるとの見方もクローズアップされた。

また、下山総裁が轢死する前日に、日暮里駅の便所の壁に「5.19下山缶」という落書きが駅員によって発見されている。この件は、事件後に大きく取り上げられ、「下山総裁を5日19時に殺害し、缶(油が入っているドラムなどに)に入れた」という共謀者への暗号だったたのではないかと囁かれた。また、田端機関区の電話から、国鉄本社に「下山総裁は殺害された」という謎の電話があった。この電話は、まだ下山総裁が轢死する数時間前のタイミングであった。自殺というには、奇妙な事が起こりすぎていた。

−謎−
捜査本部は、捜査一課の「自殺説」、捜査二課の「他殺説」で二分したが、上層部の判断(圧力がどこからかあったのであろうか)で「自殺説」を取った形になったものの、正式な記者会見は行われず異例の終幕となった。しかし、この下山総裁事件がきっかけとなり、国鉄では一気に人員整理が加速したこと、その他の企業においても人員整理が成功しGHQの思惑通りになっていった。このため、GHQの関与を示唆する見方もいまだに根強くある。

確かに、当時の国鉄ダイヤは進駐軍の物資輸送が最優先されていた。誰にも目撃されること無く轢断させるには、列車の時刻をコントロールできることが必要である。このダイヤを自由にできるのは当時のGHQであった。故に事件の背後にGHQが見え隠れするのだ。更には、GHQと蜜月の関係にあった亜細亜産業(三越デパートの付近にあったライカビルを拠点としていた貿易関連企業)との共同謀議であるとの声も大きい。いずれにしても、今日にいたるまで明確に自殺・他殺の決着がつかないまま、事件は謎に包まれたままとなっている。

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下山総裁の轢断死体を搬送する国鉄職員 下山総裁の右腕 下山総裁

 

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