三菱重工ビル爆破事件(東アジア反日武装戦線)


−経緯−

昭和49年8月30日昼過ぎ、東京・丸の内にある三菱重工ビルの正面玄関前に仕掛けられていた時限爆弾が爆発した。この爆破の5分前、同社に爆破の予告電話があり警備員らが捜索しようとした矢先であった。この爆破で三菱重工ビルはもとより、近隣のビルの窓ガラスが破壊され、お昼に外食で歩いていたサラリーマン、OLらは空から降ってくるガラスの破片で重軽傷を負った。

三菱重工ビル内にいた社員も、爆風や破壊されたガラスで死亡するなどビル内は血の海と化した。この爆破で死者8人、重軽傷者370人をだす日本国内では最大のビル爆破事件となった。現場検証及びその後の調査で、この時限装置付きの爆弾はペール缶2個に40キログラムの容量が入った爆薬だった。

−犯行グループ−
爆破事件から一ヶ月後、「東アジア反日武装戦線」が反抗声明を出す。東アジア反日武装戦線は斉藤和(都立大学中退)と友人の佐々木則夫が昭和46年に結成した。《アジアの発展途上国に進出する日本企業を日本帝国主義の走狗》としアジアや南米など発展途上国に進出する日本企業を攻撃することを目的とした「新左翼」の集団であった。

東アジア反日武装戦線の組織は『狼』、『さそり』、『大地の牙』の3グループに編成され、メンバーが逮捕された場合は青酸カリで自決するように指示されていた。

三菱重工ビル爆破を実行したのは『狼』で実行犯は佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明の4人であった。昭和50年5月19日、警視庁公安部はアジア反日武装戦線の幹部7人を都内のアパートに潜伏しているところを逮捕した。『狼=佐々木則夫、大道寺将司、大道寺あや子、益永利明』、『大地の牙=斉藤和、浴田由紀子』、『さそり=黒川芳正』。この内、斉藤は連行された取調室で青酸カリを服毒し自殺している。

公安の取り調べで、三菱重工ビル爆破以外に昭和49年10月14日に三井物産(大地の牙)、11月25日に帝人中央研究所(狼)、12月10日に大成建設(大地の牙)、同月23日に鹿島建設(さそり)など連続爆破テロもアジア反日武装戦線の犯行であることが判明した。

その後、昭和50年8月4日、日本赤軍の西川純、日高敏彦ら5人がマレーシアのアメリカ大使館とスウェーデン大使館を占拠し日本政治犯の釈放を要求。指名された8人のうち佐々木則夫を含む5人が超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。さらに52年9月28日、日本赤軍の日航ハイジャック(ダッカ事件)で大道寺あや子、浴田由紀子ら6人が同じく超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。

残った大道寺将司、益永利明は昭和53年11月12日、東京地裁で死刑判決。黒川芳正に無期懲役が言い渡された。「超法規的措置」で釈放したのはテロに屈したことを意味し国際社会から非難の声が高まった。



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