金属バット殺人事件


−経緯−
昭和55年11月29日午前2時30分頃、神奈川県川崎市の一柳幹夫さん(当時46歳)宅で就寝中の父親に向けて、次男の一柳展也(当時20歳)が金属バットで殴打した。父親は声を立てる間もなく頭を割られて即死。続いて、別室で寝ていた母親・千恵子さん(当時46歳)も同様に殺害した。傷は頭と顔に集中し顔から頭にかけて割れ人相の判別ができなかった。

現場検証した警察官達がたじろくほどであったという。展也は犯行後、金属バットを風呂場で洗い返り血を浴びた服を着替え、室内を荒らして強盗殺人に見せかけるべく第一発見者を装った。だか、翌日になって捜査員の質問に曖昧な部分があり厳しく追求した結果、犯行を自供し逮捕された。


−親の期待と負担−
展也の家庭は、東大卒の父親と短大出の母親、兄が早大卒のエリート家庭。しかも、父親と兄は一流会社勤務に対して、展也は早大など多数の大学受験に失敗しニ浪中であった。

その後の裁判で、父親のキャッシュカードから1万円を抜き取ったこと、部屋でウイスキーを飲んだことで父親から罵倒されたことが判明。二浪で不安定な精神状態にあって父親からの罵倒が鬱積し衝動的に犯行におよんだと供述した。子供の時から「この子には反抗期がない」と母親が言うほど手間がかからなかった展也が、心に貯めていた封印を取り外した瞬間に殺意を爆発させたのだろうか。

昭和59年4月25日、横浜地裁・川崎支部は展也に対して「懲役13年」を言い渡した(求刑18年)。判決後の展也は「温情のある判決」と弁護士を通じてコメント。控訴せず結審した。



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