北朝鮮・拉致被害者24年ぶりに帰国


−拉致被害者24年ぶりの帰国−

平成14年10月15日、福井県で、北朝鮮の工作員に拉致された地村保志さん(当時 23歳)・浜本富貴恵さん(当時23歳)、新潟県で、蓮池薫さん(当時20歳)・奥土祐木子さん(当時22歳)、同県、曽我ひとみさん(当時18歳)の5人(いずれも昭和53年に、北朝鮮に拉致されていた)が、全日空機の特別機で羽田空港に到着した。北朝鮮に拉致されてから、実に24年ぶりの帰国であった。

−発端−
昭和38年5月、石川県の沿岸で漁をしていた寺越武志さんと叔父2人が行方不明となる。翌朝、漁船は発見されるが2人の行方は不明のままだった。その後、昭和52年頃から日本海側で、デート中のカップルや親子連れが突然行方不明になる事件が多発する。家族は、失踪する動機がまったく見当たらないとして、所轄警察に捜索願いを要請するが、要として行方は判らなかった。

昭和55年1月7日、産経新聞の一面トップに《カップル3組の突然の蒸発事件》を報道する。「アベック三組ナゾの蒸発、昭和53年の夏、福井・新潟・鹿児島・富山の未遂、外国を発信源とするスパイ連絡用の怪電波が、警察によって確認されている」という内容で、これらの失踪は外国スパイの関与を示唆する報道であった。

一方、この当時、所轄警察署も日本海沿岸を中心とする失踪事件で、沿岸諸国、取り分けて「北朝鮮」が何らかの形で関わっていると見て捜査を開始。海岸付近のパトロールや不審船の調査などを行っている。

これらの点と点が線上に繋がっていく大きな事件が発覚する。昭和60年4月、北朝鮮の大物工作員「辛光洙(シンガンス)」が、韓国当局にスパイ容疑で逮捕された。辛は昭和48年7月、金正日書記(当時)から「日本人を拉致し、その日本人になりすまして対南工作任務を継続せよ」との命令をうけ、石川県の沿岸に密入国した。昭和55年4月に、中華料理店勤務の原敕晁さん(当時49歳)を巧みに誘い出し、宮崎県青島海岸から拉致し北朝鮮で軟禁した。その後、辛は、原さんになりすまし、再び日本へ密入国。4年以上にわたり、日本でスパイ活動を続けていた。
これらの状況や韓国側からの情報などを総合して、失踪した日本人は「北朝鮮に拉致された」とみる動きが活発化していく。


−政治の壁−
日本政府は、以前から北朝鮮による拉致被害の問題に関して、真剣に取り上げるという経緯がまったく見られなかった。ましてや昭和60年代に、絶大な権力を握っていた自民党・金丸信元副総理、社会党(当時)田辺誠副委員長の訪朝(平成2年9月・いわゆる土下座外交)で、日朝国交樹立のための、政府間国交交渉で合意するなど、与党・野党も北朝鮮に対して「腫れ物にさわる」という姿勢であった。このような政治状況であったため、拉致=北朝鮮という関係調査も、政治的トップダウンで中止命令を受けたと回顧する警察捜査官もいる。

ちなみに、辛を初め、在日韓国人政治犯の釈放要求に社会党(当時)の土井たか子、菅直人(現、民主党党首)らが署名。後に、安倍副官房長官(当時)から「まぬけ」呼ばわりされた。


−きっかけ−
平成9年1月、新潟県で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足。3月25日には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成。
5月1日、日本政府が「7件10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表する。が、北朝鮮に対する弱腰外交は何ら進展せず、平成14年9月17日、日本元首として初めての小泉首相の訪朝で、北朝鮮の金正日総書記が「拉致を認め謝罪」、日本政府は「5人生存8人死亡」と発表した。
この結果、前述の通り、平成14年10月15日に地村保志さんら5人が24年ぶりに帰国した。

地村さんや蓮池さんらの、その後の会見で「北朝鮮では、日本語講師として勤務。比較的安定した生活がおくれた」と証言。北朝鮮の工作員教育の一貫として、拉致されていたことが判明した。


−今後の問題−
まず、帰国した5人の北朝鮮に残された家族の問題が進捗していない。北朝鮮に残された子供、夫、孫たちの早期帰国が第一優先とされる。第二に、死亡したとされる拉致被害者の詳細な調査。第三に、今回の北朝鮮が拉致を認めた以外の「北朝鮮による拉致の可能性のある人達」の調査。この三点の解決と解明が急務となっている。が、現在のところ、北朝鮮からの歩み寄りは一切ない。

画像
出所:共同通信社

−拉致・失踪者リスト−
拉致・失踪年月日 ●=確認/○推定 被害者(敬称略) 拉致場所
昭和33年5月28日 中村健一 長崎県内
昭和35年6月19日 山下平 東京都内
昭和36年9月24日 正木れつこ 徳島県内
昭和38年5月11日 寺越武志・叔父 石川県沿岸
昭和43年12月1日 斉藤裕 北海道内
昭和44年3月2日 今井裕 青森県内
昭和44年7月27日頃 大屋敷正行 静岡県内
昭和45年6月 松本賢一 関西方面
昭和47年11月1日 生島孝子 東京都内
昭和48年5月21日 山口浩一・友人 青森県内
昭和48年7月7日 古川了子 千葉県内
昭和48年7月下旬 遠山文子・男性 石川県内
昭和48年8月19日 江藤健一 千葉県内
昭和49年2月24日 大沢孝司 新潟県内
昭和49年5月13日 荒谷敏生 富山県内
昭和50年5月18日 明石靖彦 石川県内
昭和51年8月2日 国広富子 山口県内
昭和52年5月21日 新木章 埼玉県内
昭和52年9月19日 久米裕 石川県内
昭和52年9月22日 前上昌輝 北海道内
昭和52年10月21日 松本京子 鳥取県内
昭和52年10月30日 後藤久二 新潟県内
昭和52年11月15日 横田めぐみ 新潟県内
昭和52年11月24日 金武川栄輝他6名 新潟県内
昭和53年6月 田口八重子 東京都内
昭和53年6月 田中実 ウィーン
昭和53年7月7日 地村保志・浜本富貴恵 福井県内
昭和53年7月31日 蓮池薫・奥土祐木子 新潟県内
昭和53年8月12日 市川修一・増元るみ子 新潟県内
昭和53年8月12日 曽我ひとみ・ミヨシ(母親) 新潟県内
昭和53年8月15日 アベック拉致未遂事件 富山県内
昭和53年12月5日 辻興一 三重県内
昭和55年1月13日 小久保稔史 京都府内
昭和55年5月 松本薫・石岡亨 スペイン
昭和55年6月 原敕晁 宮崎県内
昭和57年9月18日 永山正文 東京都内
昭和58年7月 有本恵子 ヨーロッパ
昭和58年7月21日 広田公一 鳥取県内
昭和59年3月16日 井尻恵子 京都府内
昭和59年5月20日 種田誠 京都府内
昭和59年6月8日 山本美保 新潟県内
昭和59年8月28日 伊原照治 東京都内
昭和60年12月4日 秋田美輪 兵庫県内
昭和62年3月15日 西安義行 京都府内
昭和63年7月17日 林田幸男・友人 宮崎県内
昭和63年8月2日 矢倉富康 鳥取県内
平成3年3月28日 大政由美 韓国
平成3年4月22日 佐々木悦子 埼玉県内
平成3年7月19日 小野寺将人 北海道内
平成3年11月3日 福山ちあき 大阪府内
平成4年1月15日 松橋恵美子 秋田県内
平成7年8月28日 松永正樹 北海道内
注)家族が公表希望しない失踪者があるため、拉致あるいは失踪者の人数は更に増えるものと推定できる。

−拉致・失踪MAP−
(拉致被害者の拉致された現場/日本海沿岸や大都市圏に集中している)
地図
*赤○は北朝鮮が認めた被害者。青○は可能性のある被害者。
注)○の数は人数分をカウント。海外(海上)での拉致は含まず



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