三菱銀行北畠支店篭城事件(梅川昭美事件)


−経緯−
昭和54年1月26日午後2時30分、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に、猟銃をもった梅川昭美(当時30歳)が猟銃を一発撃ちながら乱入。行内のカウンターで「金を出せ、出さんと殺すぞ。10、数えるうちに5000万円出せ」と要求。これを見た行員の萩尾博さん(当時20歳)は警察への非常電話に手をかけた途端、梅川は躊躇することなく猟銃を撃ち射殺した。

梅川は持参したナップザックをカウンターに投げ、金を入れるように再度要求。女性行員がナップザックに現金を入れているところを巡回中の住吉署の楠本正己警部補(当時52歳)が拳銃をふりかざして飛び込んでくるや、これも躊躇することなく射殺した。さらにやや遅れて駆けつけた阿倍野署の前畠和明巡査(当時29歳)も射殺して銀行内には3人の死体が横たわった。


-残忍な手口/ソドムの市−
梅川は、行員に命じてシャッターを下ろさせ机やソファーでバリケードを築く。そこで男子行員11人、女性行員20人、客男女9人全員を人質にして整列させる。梅川は「支店長は誰や」と叫び、支店長が一歩前に出ると「なんですぐ金を出さんかったか、こうなったのはお前のせいや」と言って森岡浩司支店長(当時47歳)を平然と射殺した。

梅川は、自身をカウンターの中央奥に陣取り、周りを人質である行員に囲ませて警察の狙撃を避けるなど冷静沈着であった。また、散弾銃の流れ弾を受けて床に倒れていた男性行員を助けようとした同僚に対して介抱することを一切を認めず、本当に死んだのか別の男性行員に耳をそぎ落とさせることを要求した。また、女性行員に全ての衣服を脱がせて同僚の前で歩かせたり、トイレにも行かせず「カウンターの陰で処理させる」など女性としては死ぬ以上の屈辱を与えた。

梅川は行員達に「おまえたち゛ソドムの市゛を知ってるか。これからその境地をたっぷりと味わせてやる」と言った。篭城現場は、まさに地獄絵図のソドムの市だった。(注:ソドムの市=倒錯した性と暴力を描いたパゾリーニの映画)。

篭城から42時間後の28日午前8時41分、警察に絶好の機会が到来した。梅川は、次長席に座って差し入れさせた新聞を読み始めたが、猟銃は梅川の手から離れていた。この瞬間、50センチ程開いていたシャッターから匍匐前進しながら待機していた機動隊の狙撃班6人が一斉に梅川を射撃した。その後、後備の機動隊33人がなだれ込み梅川を逮捕したが、梅川は首を撃たれて、ほぼ即死の状態であった。梅川が救急車で搬送される時、警察官らは「死ぬなよ」と何度も梅川に声をかけている。「ここで、楽に死なれてたまるかぃ。生きて俺たちの裁きを受けろ」という気持ちだったという。が、意識不明の梅川は病院に搬送された後、死亡が確認された。


−梅川の生い立ち−
梅川は昭和24年に広島県大竹市で出生。工業高校を1年で退学した梅川は窃盗など非行の常習犯で、思いあまった両親は梅川と3人で香川県に引っ越す。が、折り合いが悪い両親の元から家出。15歳の時、以前アルバイトした土建業宅に強盗目的で侵入し家人の若妻(当時23歳)を殺害した。その結果、山口の特別少年院へ送致される。退院後、バーテンや飲み代の取り立てなどを生業としていたが、30歳の誕生日を前にして「俺もおふくろを心配させたらあかん年齢や」と一旗上げると意気込んだが、それが「銀行強盗だった」。

犯行時、身重の女性と子供は解放した。冷酷で非情な梅川の微かな人間性の証だったのか。事件後、捜査官が梅川の部屋へ家宅捜査した際、六法全書、経営学、医学などの書籍が600冊出てきたという。一体、梅川は何処へ行こうとしていたのだろうか?

画像
猟銃を構える梅川


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