西口彰連続強盗殺人事件


−経緯−
昭和38年10月18日、福岡県京都郡苅田町(かんだまち)で元運転手の西口彰(当時38歳)は、専売公社から委託された運送会社のトラックに同乗していた職員で集金係りの村田幾男さん(58歳)を言葉巧みに誘い出して殺害。タバコの集金代約26万9000円強を強奪した。
更に、トラック運転手の森五郎さん(当時38歳)も同様に殺害して、苅田駅裏の山道と香春町の峠にそれぞれ遺体を遺棄した。

福岡県警行橋署は、直ちに捜査を開始したところ、以前に専売公社の委託運送会社に勤務していた前科4犯の西口が捜査線上に浮上。目撃情報も西口の特徴に一致したことから、犯人は西口と断定し行方を追った。

10月24日、西口は宇高連絡線のフェリーに乗船。甲板に靴を置くなどして自殺を装ったが、警察が瀬戸内海を捜索した結果、死体は発見されず自殺は偽装であると断定。警察は、西口の行方を懸命に追ったが杳として手掛かりは掴めなかった。

同月28日、西口は京都大学教授と称して静岡県浜名市の貸席に宿泊。そこから広島にある養護施設に出向き、自分は京都のケースワーカーだと称して施設にテレビを寄贈すると持ちかけて電気店から4台を騙し取った。直ちに、質屋に入質して現金8万円を入手した。再び、浜名市の貸席に戻った西口は、11月18日に経営者の母娘を殺害して衣類や電話加入権などを入質して14万8000円を入手した。

同月21日、警察は西口を「重要指名手配」に指定して、全国の警察、鉄道公安などに指名手配書を配布。刑事はもとより警邏係りの警察官、鉄道公安員、鉄道職員等にポケットサイズの西口の写真などを持たせて一斉に捜査を開始した。

しかし、その警察の動きをあざ笑うように西口は、福島県平市の弁護士宅から弁護士バッチや弁護士名簿などを窃取して弁護士になりすまし千葉地方裁判所や東京地方裁判所に現れては保釈手続きなどで出向いた主婦等から金員を騙し取った。

12月29日、西口は弁護士名簿から東京都豊島区池袋の弁護士宅で神吉梅吉さん(当時81歳)を殺害。遺体はタンスの中に押し込んで4日間、弁護士に成りすまして詐欺を働いた。

−逮捕のきっかけは一人の少女−
翌年の昭和39年1月2日、熊本県の教誨師宅へ西口は弁護士になりすまして訪問。この教誨師は福岡事件の死刑囚は冤罪であると訴え擁護活動をしていた。これに目を付けた西口は、この教誨師に協力を申し出た。教誨師は大いに喜んだが、教戒師の娘(当時11歳)は、小学校の登下校で通る駐在所の掲示板を思い出した。改めて、重要指名手配の西口のポスターを見て殺人魔の西口に容貌が似ていると直感した。


父親の指示で、家族は平静を装いつつ、母親と姉が駐在所に通報。駐在所から行橋署に連絡が入るまでの初動が鈍かったため、教誨師一家は殺人魔西口と襖を隔てた家で朝を待つことになった。

翌朝、西口が異様な状況に気づき早々に教誨師宅をでたところを行橋署の捜査官が西口を逮捕した。「もし、この少女の機転が無かったら、この教戒師一家も殺害されていた可能性があった。警察の12万人の目は一人の少女の目にかなわなかった」と警察庁長官がコメントし反省しきりであった。昭和41年8月15日最高裁は西口の上告を棄却し死刑確定。昭和45年12月11日福岡拘置所で死刑執行。

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逮捕直後の西口


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